【アーカイブ】2012年5月の志津川地区
現在南三陸町は復旧工事が進み、茶色の盛土の山や、建設中の
橋や道路ばかりが目立つ状態です。
しかしほんの数年前、東日本大震災が発生するまで、ここには
ごく普通の町が存在していました。
本日はいつもとは異なり、過去の情報発信です。
2012年5月の志津川地区の様子をご覧下さい。
今はもう解体され、土の下に埋もれた町並みが蘇ります。
まずはまさしく解体工事が着手された頃の南三陸警察署。
一見ダメージは少ないですが、壁面には穴が空いています。
警察署の正面を走る国道45号線。
手前の高野会館だけは今も残されていますが、
後方のサンポートは翌月には解体されました。
同じく国道45号線沿いにあった公立志津川病院。
ここでも多くの方が亡くなりました。
病院跡は嵩上げされ、新たな国道45号線が敷設されつつあります。
病院の入り口には献花台が設置されていました。
当時防災対策庁舎には規制線は貼られておらず、直接献花する
ことが出来ました。
現在震災復興祈念公園の整備の為、敷地には立ち入れません。
比較的海沿いの地域です。
鉄骨の建物は、ポータルセンター裏手に再建された『さかなのみうら』さん。
お店の前に掲げられていた【よみがえれ故郷 ふんばれ南三陸町】という
プレートは大きなインパクトがありました。
志津川公民館は波の直撃を受け、建物上部は跡形もありません。
震災廃棄物が置かれていた松原公園。
旧モアイやコンドル像と共に設置されていたSL(C5816)も流出し、
この翌月には解体撤去されました。
志津川小学校仮設住宅から。いつもとは違う角度の写真です。
盛土は一切無く、その代わりに被災した自動車の山があります。
対岸の戸倉方面から撮影。
不思議なもので、遠くから見ると町は被災していないようにすら映ります。
でも、もうこの町並みは存在しません。
今回敢えて過去の情報発信をしたのは、これから南三陸町を訪れる方々に、
以前の町の姿を思い起こしながら滞在していただきたいと考えた為です。
私はこれら写真を撮影した日を境に、東京、その後は大阪から毎月数回
南三陸町に通うようになりました。
ストックしている写真は数万枚あります。
またいつの日か、私自身も町の姿を思い出す為にも、この場を借りて
過去を振り返ろうと考えています。(NIKE)
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